最近の服5

エッセイ

 学生の頃、新品の上履きに買い替えて履き始めるタイミングが恥ずかしくてそわそわした。入学したてならまだしも、もう1年以上通っているのにピカピカの上履きを履くと、あからさまに買い換えたことが丸わかりになるからだ。その時は手で無理やりぐにゃぐにゃして柔らかくしたり、わざと自分で踏んだり床に擦り付けて汚したりして、新品であることがわからないようにごまかしていた。そりゃ破れたり、汚くなったり、みすぼらしいものを履くよりも綺麗なものの方が多くの人からはそれなりの格好に見えると思う。でも、僕の中では新品の綺麗さだけでなくて、使い古したものの方が自分に馴染んでいたり、かっこよかったり見えることも当時なんとなくわかっていた。そういった観点から、この時からすでに古着やヴィンテージの世界(年代背景やカルチャーなどの側面としての古着・ヴィンテージの楽しみとは別で)に興味を持ち始めるきっかけはすでにあったのかなと思う。また、小学校〜高校(中高は一貫校)まで強制的に上履きという同じものを6年間ずつ使い続けさせられたことは、おそらく衣服の中では唯一長い期間且つほぼ毎日使い続けるという原体験だったのではないかと振り替えってみると思う。(当時楽しんで上履きを使い込んではいなかったが。)

  ものによってはシワがないシャツやパンツ、汚れがないピカピカの革靴もかっこいいと思うし、服の状態に神経を注ぐこともある。でも、毎日過ごす分には疲れてしまうので、シワが入ったり、少しヤレてきた方がいいものを着るようにしている。「COMOLI」のシャツもその1つ。自分でちょっとくしゃくしゃにして、着用した後や洗濯した後もアイロンはかけずに適当に手で軽くシワを伸ばしてハンガーにかけておく。使い続けることで、自分なりの理想の風合いになっていくのが日常のちょっとした喜びである。最近、そこに「i am dork」のシャツが追加された。ブランドの話は割愛するが、このシャツも使い続けた先のかっこよさが待っている気がしている。スニーカーの穴に一喜一憂したり、白いシャツを漂白する快感を覚えたりと、最近服に対してサディストのような一面を自分の中に感じるようになり、いよいよだなと思い始めている。

エッセイ
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服と僕

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